グランドスラム達成までの
  
健祥会チームは、2007年10月20日、21日に島根県出雲市で開催された『文部科学大臣杯第23回全日本ゲートボール選手権大会』において、見事優勝を勝ち取りました。これにより、ゲートボールの3大大会といわれる
『笹川良一杯 全国選抜大会』(平成14年5月 第17回大会優勝,平成16年5月 第19回大会優勝)
『内閣総理大臣杯 全日本世代交流大会』(平成17年8月 第22回大会優勝)
『文部科学大臣杯 全日本選手権大会』(平成19年10月 第23回大会優勝)
のすべてを制覇!!さらに『全国社会人大会』優勝を加えた4冠を果たし、日本ゲートボール史上初のグランドスラムという偉業を達成しました!!
グランドスラムは全国あまたある強豪チームが、未だなし得ていない偉業です。史上初であるとともに、あとに続くチームが果たしてあるかどうか、というほどの難業です。
健祥会チームは、平成14年(2002年)『第17回全国選抜大会』に初出場で初優勝した折より、このグランドスラム達成という目標を掲げて頑張ってきました。悲願達成の今、ここに至るまでの健祥会チームの歩みを紹介します。
ゲートボールが健祥会の会技に
 昭和55年10月
 (1980年)
昭和55年(1980年)社会福祉法人健祥会 特別養護老人ホーム水明荘が開所し、その年の9月25日、健祥会はゲートボールと出会いました。「これこそが、これからの高齢社会のスポーツだ」と確信し、10月1日ゲートボールを健祥会の会技としました。11月5日、水明荘ではじめてのゲートボール大会を開催。これが、健祥会とゲートボールの歩みのはじまりです。
 以来30年、ゲートボールは健祥会と地域の高齢者とのご縁を生みながら、健祥会のヒット商品となり、二人三脚でともに歩んできました。
 
 「おはようゲートボール杯」で優勝
 昭和59年5月
 (1984年)
テレビ朝日主催『第9回おはようゲートボール杯』で、理事長率いる水明荘チームが優勝を飾りました。
 
健祥会チームの誕生
 平成11年1月
 (1999年)
平成10年(1998年)11月、ハワイで開催された『第7回世界ゲートボール選手権大会』に参加。
この大会を契機に中村主将のゲートボール観が大きく変わることとなります。決勝トーナメントで敗れた悔しさと、サングラスに茶髪の同世代の人たちの活躍に触発され、「これからは若いチームでないと勝てない、若いチームで闘いたい」という気持ちが沸き起こってきたのです。同じ志を持つ若手職員6名により、「全国大会で優勝する」という夢をかかげ、健祥会チームが結成されたのです。
 
連敗の日々、チーム解散の危機からの脱出!
 平成11年3〜10月
 (1999年)
健祥会チーム発足後、初のオープン大会での完敗をはじめとして、全国どころか、県大会でも負ける日々が続き、チーム内にも自然に「やめようか」という気配さえ漂った時がありました。
そんなチームに力を授けてくれたのが、健祥会グループ主催の『健祥会GBC平成リーグ』という大会。県内から約20チームが毎月1〜2回集まり、ナイターで総当り戦を行って、年間チャンピオンを決めるというものであり、負けても多くの試合を経験できるため、県内の強豪チームに叩かれ、もまれ、鍛えられていきました。そんな中で、チームも「もう一回がんばってみよう」と奮起。その直後の大会で3位に入賞したことから、チームに自信が戻ってきました。
 
偉業達成への第一歩、初の全国大会制覇!!
 平成14年5月
 (2002年)
連敗の山を築いた平成11年(1999年)、悔しさをバネに『健祥会GBC平成リーグ』に鍛えられ、作戦の研究も重ねながら、平成12年(2000年)7月『第17回全日本世代交流大会』第4位、平成13年(2001年)8月『第18回全日本世代交流大会』3位という成績を収め、チームは順調に成長していきました。
当初は6名でスタートした健祥会チームも、部員が増え、熾烈なレギュラー争いに泣く選手もいました。
そして、平成14年(2002年)5月、初めて出場した『笹川良一杯 第17回全国選抜ゲートボール大会ミドルクラス』でチーム発足3年目にして、初優勝!全国制覇の夢を実現させたのです。輝かしい8度の全国制覇、グランドスラム達成という偉業への第一歩を踏み出した瞬間でした。

 平成14年7月
 (2002年)
初の全国制覇の後、7月には「健勝会チーム悲願の全国制覇を祝う会」が催されました。決勝戦のビデオが流れる会場で、職員や家族、ゲートボール関係者など約300人の方々に祝っていただき、「これだけ多くの方々に応援していただき、祝っていただいたのに、万一、あとが不甲斐ない成績だったら申し訳ない。これからは結果を残していかなければならない」とメンバー一同決意を新たにしたものです。
 
常勝の難しさを痛感
 平成15年5月
 (2003年)
初制覇ののち、健祥会チームは、全国大会で入賞はするものの、あと一歩のところで優勝を逃し続けていました。自分たちの未熟さと常勝の難しさを痛感した時期です。平成15年(2003年)、V2をかけて臨んだ第18回全国選抜ゲートボール大会。同じ予選リーグの兵庫県の黒田庄は、全日本選手権V3という強豪チームでしたが、最終戦での対戦で17点もの大差で完敗しました。これを機に、黒田庄の胸を借りるかたちで年一回の交流試合が始まりました。
ゲートボールは千転万変です。さまざまなボール位置、試合展開、同じ場面は二つとなく、常に変化していきます。ゆえに先見の明、先を見抜く力が必要です。また、技術も作戦も年々進化しており、常に学びのスタンスであることが重要なのです。
黒田庄をはじめ、全国大会で出会う強豪たちに刺激され、学び、教えられ、健祥会チームは強くなっていくことができたのだと思います。
 
苦手な全国社会人大会、健祥会レッズが先輩を追い抜いて初優勝!!
 平成15年10月
 (2003年)
 平成16年9月
 (2004年)
福井県で開催された第5回全国社会人大会には、健祥会グループから、水明荘、健祥会、それに後輩チームである健祥会レッズが出場しました。大会中、中村主将は自分の試合そっちのけで健祥会レッズの心配ばかりしていました。「しっかり試合ができるだろうか」と。そうしたところ、健祥会は準決勝で第1回大会準優勝のスーパーキング(福井)にミスで負けてしまい、なんと健祥会レッズが優勝!さらに翌年の第6回大会では見事V2を達成しました。
 
全国制覇から4年、“鬼門の年”を迎えるが、
 全日本世代交流大会で初優勝し乗り切る!
 平成16年5月
 (2004年)
平成16年(2004年)第19回全国選抜大会は、ちょうど中村博彦理事長の参議院選への立候補と重なり、ほとんど練習できないままに臨みましたが、必死で闘い抜き、2度目の全国制覇を遂げることができました。
しかし、常に順風満帆だったわけでなく、同じく平成16年(2004年)の第20回全日本選手権大会では、2次リーグで敗退し、中村主将は精神面の弱さを痛感します。また、健祥会チームは、仕事とゲートボールの両立が大前提ですが、部員も増える中で、両立の難しい部員もでてきました。
全国制覇から4年目の年を迎え、チーム全体を引き締める必要があると中村主将は判断し、平成17年(2005年)年頭より、1ヶ月の休部を決定しました。4年目というのは、技術や作戦をライバルチームから研究し尽くされるとともに、運営面でさまざまな問題が生じる時期でもあります。
1ヶ月のクールダウンを終え、心機一転出場した『第10回JLC杯スーパーゲートボール大会』では、史上初の3連覇を遂げたものの、5月に行われた『第20回全国選抜大会』では、チーム発足以来、初めての予選リーグ全敗を経験。ショックは大きく、4年目の壁を感じ、公式戦から距離を置くことも考えたりしました。しかし、なんと8月、『内閣総理大臣杯第22回全日本世代交流大会』に初優勝することができたのです。通算5度目の全国制覇です!これでなんとか4年目の壁を乗り切ることができました。
 平成17年10月
 (2005年)
ナイスパル増刊号 ゲートボール上達ハンドブックシリーズ第4弾
「健祥会・中村太一主将の3年間で全国制覇の“夢”を実現させるマル秘必勝術」発行。
一人でも多くの人にゲートボールの魅力を知ってほしい、との願いを込めて、作戦や戦術のノウハウを伝えるとともに、海外へ、次世代へと広がる夢を語っています。
 
全国社会人大会にて健祥会キングV2達成!!
 平成18年9月
 (2006年)
 平成19年9月
 (2007年)
この後、平成18年(2006年)第8回全国社会人大会には、水明荘、健祥会キング、健祥会エンペラーの3チームが出場し、キングとエンペラーがともに決勝トーナメント進出。史上初の同チーム決勝戦が繰り広げられ、キングが優勝の栄冠に輝きました。さらに水明荘、健祥会キング、健祥会エンペラー、リバティの4チームが参加した翌19年の同大会でも、キングが連覇。社会人大会通算4回という優勝最多記録を樹立しました。4度目、通算7度目の全国制覇を遂げています。初出場のリバティも決勝トーナメント進出という大奮闘でした。
 
史上初、グランドスラム達成!!
 平成19年10月
 (2007年)
平成19年(2007年)10月、島根県出雲で行われた『文部科学大臣杯第23回全日本ゲートボール選手権大会』。4年前、試合終了の鐘が鳴ってからの同点内容負けという苦い経験のあるこの大会で、健祥会チームは見事雪辱を果たし、悲願の選手権初優勝を遂げました。“グランドスラム”を達成するとともに、通算8度目の全国制覇となりました。
 
 健祥会ゲートボールチーム
 グランドスラム達成祝賀会
 平成19年11月
 (2007年)
健祥会の職員と「健祥会ゲートボールチーム後援会」により、グランドスラムを祝って、祝賀会が開催されました。
次なるチームの目標は、2008年のアジア大会制覇。日本の覇者からアジアの王者へ、そしてこれまで3位で終わっている世界選手権へと、夢は広がります。
同時に、中村主将は「悩んだり、行き詰ったりしながらも、ゲートボールは大きな生き甲斐と楽しさを味あわせてくれた。全国制覇を目指したころには勝つことばかりを考えていたが、この魅力溢れるスポーツを一人でも多くの人に知ってもらいたい」と、普及指導にも意欲を燃やしています。